日本のメディアが隠しても、世界は知っています!‬騙されたすべての日本人とアメリカ人、そして西洋のすべての人々の声に耳を傾ける価値があります

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暗黒日本の真実!助けに行った父親がストーカー扱いで、対面した時は娘は遺体!殺人者は日本の行政司法立法及びストーカー規制法乱用と虚偽DV「支援措施」ですよね!

《秋田・小4女児を母親が絞殺》霊安室で7年ぶりに会った娘は冷たく…「救える機会は何度もあった」8000万円の損害賠償を請求した実父が憤る行政の“ずさんな対応”

母親は児童養護施設で生活する娘を迎えに訪れた。駆け寄る娘をギュッと抱きしめていたその手は、我が子を絞め殺すために使われた――。

「娘の顔は赤紫色で、口を大きく開けていました。何かを叫んで、何かを訴えているような表情に見えました。柔らかい紐のようなもので、十数分にわたって首を絞めて殺害されたそうです。それだけ長い時間をかけたのに、どうして我に返らなかったのか」

「統合失調症」と診断された母親

そう話すのは、亡くなった千葉愛実(めぐみ、享年9)さんの実父である阿部康祐(やすまさ、50)さんだ。

事件は2016年6月、秋田県秋田市で起こった。愛実さんの母親であるY子は、自宅アパートで無理心中を図り、施設から一時帰宅中だった娘の首を絞めて殺害したのだ。

Y子は殺人容疑で逮捕されたが、秋田地裁は心神耗弱を認定し懲役4年の実刑判決を下した。しかし、Y子は判決を不服として控訴。最高裁まで争ったが、2018年に刑が確定した。

たったの4年……軽すぎますよ。裁判では“覚えてない”“わからない”ばかりで謝罪の言葉はありませんでした。Y子の服役後には、刑務所での様子を通知してもらう制度を利用しましたが、生活態度はいつも5段階中の最低評価。説明には《反抗的》などと書かれていました。他責的な人間ですから、反省していないはずです。すでに出所をしていますが、Y子に会ったら、取り返しのつかないことをしてしまいそうで……。今も彼女を許せないんです」(阿部さん、以下同)

 その心中に渦巻くのは、Y子への怒りだけではない。2019年、行政の対応に落ち度があったため愛実さんが殺害されたとして、阿部さんは秋田県などを相手取り、約8000万円の損害賠償を求める裁判を提訴した。

「行政がしっかりと連携していれば、救えた命だったはずです。それなのに行政間で情報共有がなされず、対応を誤った。Y子は生活保護を受給していましたが、ケースワーカーは、Y子に娘がいることを知らなかったそうです。ありえないことが、いくつも起こっていたんです」

 しかし、秋田地裁は4月14日に阿部さんの請求を退ける判決を下した。これを受け、阿部さんは即日控訴している。本当に行政の対応に問題はなかったのか。一家に何が起こったのか。時を遡る。

◆   ◆   ◆

 2002年、6年間の交際を経て阿部さんとY子は入籍。秋田県大仙市に居を構えた。幸せな新婚生活が待っているはずだった……。

「結婚してほどなくしてY子が“私は何かしらの精神疾患を患っている”と訴え、いくつもの精神病院を受診して回るようになりました。最終的に『統合失調症』と診断され、Y子も納得した様子でした」

次第に病状は悪化。妄想が酷くなり、薬を大量服薬する自殺未遂を起こしたことも。そんなY子に代わり、阿部さんはすべての家事をこなした。

「Y子は思うように動けず寝てばかりでした。親族との関係も悪く、孤独だったんです。そんな妻を私が支えなくてはいけないと思っていました」

 ここで生活に大きな変化が起こる。2006年12月に愛実さんが誕生するのだ。

住民基本台帳に閲覧制限が

「すっごく嬉しかったのを覚えています。初めて抱いたときは、壊れてしまいそうなぐらい小さくて怖かったのですが、本当に可愛くって……。父親になったという自覚が沸き、もっと頑張らなくてはいけないと強く思いました」

 Y子にも変化はあったのか。

可愛がっていましたが、正確には教育熱心だったという印象です。“幼い時の教育が大人になって影響するんだから”と話し、食べさせる物へのこだわりは強く、知育玩具を買い与えていました。勉強って歳でもないんですが……。Y子は学生時代に“いじめ”に遭っていたことから、娘をいい学校へ進学させて周囲を見返してやりたいという思いがあったようです。子どもは自分の分身ではないのに……」

 その一方で、阿部さんの負担は増大していた。

「Y子が病気で昼間は子どもの世話をできないため、保育園に預けていたのですが、その送迎やお風呂といった育児に加えて食事の支度など、家事育児のほぼすべてを私が担っていたんです。愛実の世話について、Y子は口頭で私に指示をするだけ。私の母にも助けてもらいましたが、少しでもY子の思った通りでない育児をすると、すごい剣幕で罵倒されるのです。腫物に触るように接していました

父親として家族を支えなければいけない。そんな思いだけが阿部さんを突き動かしていた。しかし、心が壊れる。

「仕事から帰っても家事育児で休まる時間がなく、限界がきていました。当時は配達の仕事をしていたのですが、あるときから配達先を1軒回ると気分が悪くなり、休憩しないと動けなくなって……。1日30軒回っていたのが、3軒回るのがやっとでした。そんな状態でしたから、仕事をクビになってしまいました」

それが2008年9月末のこと。ほどなくしてY子の病状が悪化したなどの理由から、夫婦は別居し、2009年8月には調停離婚が成立。親権はY子が持つことになる。

「絶対に愛実を渡したくなかったのですが、親権争いは母親が優位ですから勝ち取ることは難しかった。私が納得しないでいるとY子が面会交流をさせると言ってきたんです。月に1回会えるなら愛実の様子もわかるし、問題があれば即座に親権変更ができると考え、私は渋々承知したんです。まさか完全に会えなくなるとは思いもしませんでした」

 Y子はさまざまな理由をつけ面会交流を拒絶する。

「家族で住んでいた家からY子が転居したため、どこに行ったのかわからなくなってしまいました。愛実に会う方法を必死に模索するなか、住民票を取得しようとしたら、住民基本台帳に閲覧制限がかけられていたんです」

2009年11月、Y子は元夫からストーカー被害を受けていると虚偽の訴えをして『DV等支援措置』を申請していた。同制度は、DVや児童虐待の加害者から被害者の情報を保護してもらうよう自治体に求めることができるもの。

「1度も実施されない面会交流の履行勧告をしようにも、Y子の住所が必要でした。携帯番号も変えられて、連絡をとる方法がなくなるのです」

7年ぶりに会った娘は、冷たかった

その一方で、Y子は離婚後に大仙市内の県営住宅に転居。2011年3月には行政に愛実さんの養育が困難だと訴え、愛実さんの一時保護を求めた。これにより愛実さんは児童養護施設で生活することになる。

「そんな状況になっているとはつゆ知らず、Y子の父親に何度も頭を下げて、引っ越し先を教えてもらいました。2012年4月にはその住所を基に面会交流の履行勧告をするのですが、Y子は私を愛実から遠ざけるため、今度は警察に虚偽のストーカー被害を訴えたのです。私を苦しめるため、何が何でも愛実と会わせたくなかったんでしょう

 誰もがY子の主張を鵜呑みにし、阿部さんを阻み続ける。

「警察から“ストーカー行為はやめなさい。繰り返したら逮捕します”と電話がありました。それでも安否確認だけはしたくて県営住宅に何度も足を運んでいたんです。しかし、娘の姿を見ることはできず、諦めの気持ちが大きくなっていきました」

阿部さんから少しでも離れようと考えたのか2013年2月、Y子は秋田市内へと転居する。周囲が見えなくなるぐらい、阿部さんの頭の中は愛実さんのことでいっぱいだった。

「複数の探偵社に“娘を探してほしい”と依頼しましたが、全部断られます。手立てのない絶望的な状況にふさぎ込む日々が続きました。そんなとき、私の母親が“大人になったら愛実から会いに来るよ”と言ってくれたんです。もし愛実が会いに来たとき、こんな姿は見せられない。立派なお父さんでよかったと思ってもらえるように頑張ろうと、それを日々の糧にして前向きに生きることを決めました

だが、希望は無残にも打ち砕かれる。新聞報道で事件を知り、警察署に駆け付けた。霊安室で7年ぶりに会った娘は、何も話さず、冷たかった。

「娘の遺体を目のあたりにしても、自分の娘だと思えなかった。成長していたからではありません。悲しいという感情が沸いてこず、現実を受け止めることができなかったんです。愛実の葬儀は、Y子の親族が執り行いました。参列したいと伝えると“やっと縁が切れるんだから遠慮してくれ”と言われ、最後の別れをすることは叶いませんでした」

阿部さんは、愛実さんが通っていた学校や児童養護施設から引き取った遺品すべてに、今も目を通せないでいる。

「楽しそうな娘の姿を知ると、つらくなってしまうんです。なんで助けてあげられなかったんだろう。本当はそんな楽しい日々がずっと続いていたはずなのにって……」

 そして、行政の対応について怒りを滲ませる。

「Y子が秋田市へ転居した際、愛実は施設で保護されており安全だとして、秋田市は大仙市から要請のあった情報の引き継ぎを拒否したんです。注意深く見守る必要がある要保護児童の対象からも除外しました。最終的に愛実と関わっていたのは児童養護施設だけでしたし、Y子と接していたのはケースワーカーだけでした。愛実を一時帰宅させるなら、母子両方の状況を複数人で注意深く見守るべきなのに……」

生前の娘と最後に会った時の思い出

母子への手厚い支援が失われていた。Y子は当時『統合失調症』(※編集部注:刑事裁判では『妄想性障害』と認定)と診断されており、主治医も「母親の病気は重く、子の養育は無理である」と述べていた。

 今回の判決で秋田地裁は、一時帰宅中にネグレクトや暴力による虐待はあったと認定。にもかかわらず、母子の関係は良好で、愛実さんに重大な危害が加えられることは予測できなかったと判断した。

「死なない程度であれば、虐待しても問題ないと言っているようにしか聞こえない。危険な判決だと思います」

 愛実さんを一時帰宅させる判断も、大仙市から秋田市へ転居してから変化していた。転居前は家庭訪問や医師との面談によりY子の生活状況や病状の把握に努め、児相が会議で帰宅の可否を決定していた。しかし、秋田市に転居してからY子の情報が把握されないまま、児童養護施設にその判断が一任されていたのだ。

「児童養護施設への帰宅時間も毎回遅れていたのに、それを容認していたのもおかしい。事件発生時、行政が即座に警察へ通報して自宅内の状況を確認していれば、愛実は助かっていたかもしれないんです。DV法の運用も、被害者の意見を聞くだけでなく、申請後に事実の確認が行われるべきでしょう。愛実の命を救える機会は何度もあったはずです

行政の不備を痛烈に批判するが、裁判を提起したのには、こんな思いがあったと続ける。

「間違いがあったと純粋に謝罪をしてほしいだけなんです。私に対して“金が欲しいんだろう”と話す人もいますけど、お金が目的ではありません。2度と同じことが起こらないように、真摯に反省する誠意を見せてほしいだけなんです」

 ここ数年で、阿部さんの両親や祖母が他界した。今は実家にひとりで暮らす。

「広い家なので、寂しいですね。死んでしまいたいと思うこともありますが、私が生まれてきた意味は今回の問題を伝えることなのだと思っています。生前の愛実に会えたのは、離婚直前の2009年3月22日でした。2歳の娘は“おとーしゃん、あそぼー”と駆け寄ってきたので、たくさん“高い高い”をしたんです。喜んでくれて、嬉しかった。遊び疲れて寝てしまった愛実の姿が、今も忘れられません」

そう話し、かつて娘を抱き上げたその両手を、阿部さんはじっと見つめた――。

週刊女性PRIME5月10日

当年美军为首的11国联军入侵阿富汗,直到今年撤军时各国损失到底有多少?

日本のメディアが隠しても、世界は知っています。米軍がアフガニスタンに侵攻したとき、11カ国の連立を結成しましたが、今年、軍が撤退するまで、各国はどれだけの損失を出しましたか?

米軍がアフガニスタンに最も多くの力を投資した当時、約10万人の軍隊がおり、死者数は2,420人でした。

オーストラリアがアフガニスタンで最も多くの軍隊を持っていたとき、約26,000人の兵士がいて、死者数は39人でした。

イギリス軍が最も多くの軍隊を派遣した時期に、9,500人の兵士がアフガニスタンに行き、456人が死亡した。

フランスは4,000人の兵士を送り、89人が死亡した。

ニュージーランドは800人の兵士を送り、10人が死亡した。

カナダは3,000人の兵士を送りましたが、159人が死亡した。

ドイツは3,500人の兵士をアフガニスタンに送り、57人が死亡した。

イタリアは3,500人の兵士を送り、53人が死亡した。

ポーランドは2500人の兵士を送り、41人が死亡した。

スウェーデンは850人の兵士を送り、5人が死亡した。

韓国は210人の兵士を送り、死亡なし。

ボストン大学の不完全な統計によると、アフガニスタンでの戦争中に合計241,000人が死亡し、そのうち71,000人が民間人でした。

ニューヨークタイムズ紙によると、2019年前半だけで89人の子供を含む363人が米軍の爆弾によって殺害されたと判断されました。

カブール大学の学者の評価によると、アフガニスタンでの戦争は毎日平均約250人の死傷者を出しました。

戦争による死傷者に加えて、さらに衝撃的なのは、民間人を露骨に虐殺する米兵もいるということです。

2013年、米兵ロバート・ベイルズはワシントン州の軍事法廷で、2012年3月に9人の子供と3人の女性を含む16人のアフガニスタンの民間人を虐殺したことを認めました。

22人の被害者のうち17人は女性や子どもで、そのほとんどが頭を撃たれていた。

2015年10月3日、米軍はアフガニスタン北部のクンドゥズ市への空襲中に国際医療救助組織「国境なき医師団」の病院を襲い、14人の医療スタッフを含む42人が死亡した。

当年美军入侵阿富汗时,组建了一个11国联军,直到今年撤军时,各国损失到底有多少?

美军在阿富汗投入兵力最多之时有10万人大军左右,死亡人数2420人。

澳大利亚在阿富汗驻军人数最多时有2.6万军人左右,死亡人数有39人。

英国派出兵力最多的时期有9500军人兵力前往阿富汗,死亡456人。

法国派出有4000军人,死亡89人。新西兰派出了800军人,死亡人数有10人。

加拿大派出有3000军人,最终死亡了159人。

德国派出3500军人前往阿富汗,有57人死亡,意大利派出3500军人,死亡53人。

波兰派出2500军人,死亡41人。

瑞典派出850军人,死亡5人。

韩国派出210军人,没有死亡。

美国波士顿大学的一项不完全统计显示,阿富汗战争期间累计造成了24.1万人死亡,其中7.1万人是平民。

据纽约时报报道,仅2019年上半年确定死于美军炸弹的就有363人,包括89名儿童。

根据喀布尔大学学者的评估,阿富汗战争平均每天造成约250人伤亡。

伤亡除了来自战争的波及,更令人震惊的是,还有美军士兵公然对平民实施屠杀。

2013年,美军士兵罗伯特·贝尔斯在华盛顿州的一家军事法庭承认,他在2012年3月屠杀了16名阿富汗平民,其中有9名儿童、3名妇女。

在 22 名遇难者中,有 17 名是妇女和儿童,其中大部分人头部中弹。

2015年10月3日,美军在空袭阿富汗北部昆都士市时,击中了国际医疗救援组织“无国界医生”的一家医院,造成42人死亡,其中有14名医护人员。

抑圧のあるところには抵抗がある:「こどもを返せ」強引な保護者が来たら…児童相談所が対応訓練 警察との連携を強化

親は子供を守るのが当たり前です。
犯罪者から守るってるのです。
児童相談所は犯罪者組織です。
こんなことする前に自分たちの過ちと隠蔽など公表してください。
どんなけ酷いことしてるか
守れる命を守れないくせに偉そうにして
そして不当拉致監禁が増える。
児童相談所はビジネスで動いてるので命が守れなく何にもない幸せな家庭から子供を拉致監禁する。
これが実態です。
こんな犯罪者組織の行政はいらない。
税金の無駄遣い。
権力乱用して子供の人権を無視して
違法なんですよね!
まずは児童相談所(犯罪者)を潰したほうが日本の未来に繋がります。

公権力が国民平穏な生活を脅かしてます。抑圧のあるところには抵抗がある。暴力的な行政に対して武器は必要不可欠なものである。国は国民が武器を保持する権利を侵してはならない。銃刀法は廃止されなければならない。

苛政は虎よりも猛なり。

日本人は、何でも我慢しすぎます。子供を拉致する児童相談所に対しては「目には目を。歯には歯を。」で対応するしかないです。

もし、日本の児童相談所のシステムが中国で採用されたとしても1日で潰されるでしょう。

日本で乳幼児一人養育 月々の支援額
実親:児童手当1万5千円…A
親戚等:A+児童扶養手当=約5万8千円…B
里親:B+里親手当13万7千円+措置費5万8千円+その他支給=約26万円
施設(虐待加算):B+施設措置費約40万円=約46万円

希望刘鑫在法庭上宣布:要与陈世峰结婚,从一而终!这样才能伸张社会正义!

希望刘鑫在法庭上宣布:要与陈世峰结婚,从一而终!这样才能伸张社会正义!

刘鑫和江母之战非常好,极好,希望双方加大力度互咬,一定要有你死我活的精神,要咬得你死我活才大快人心!一个是没有从一而终思想的离婚的女人,一个是没有从一而终思想的缺乏父亲健全教育的离婚女人的女孩。

清官难断家务事。不自量力,去管人家同居男女的闲事,不是找死,是干什么!谁想学江歌,下一个死的就是她,谁的妈就成了江母,然后再咬成一团子,大快人心。

陈世峰是个男人!陈世峰你牺牲了自己,教育了江歌这类人!希望江歌这种人越少越好!忠言逆耳,苦口良药!

表現の自由は基本的人権として非常に重要だ。制限は可能だが、立法者が条件を決定すべきで、SNS(交流サイト)運営会社の経営陣の決定に従って決めるべきではない

【ベルリン時事】ドイツのメルケル首相は、短文投稿サイトの米ツイッターが自社サービスからトランプ米大統領を永久追放したことについて、表現の自由を制限するのは立法者のみであるべきだとして「問題だ」と苦言を呈した。ザイベルト政府報道官が11日の定例会見で、メルケル氏の見解を明らかにした。

 ザイベルト氏は「表現の自由は基本的人権として非常に重要だ。制限は可能だが、立法者が条件を決定すべきで、SNS(交流サイト)運営会社の経営陣の決定に従って決めるべきではない」と述べた。

ツイッターは8日、暴力を扇動する危険があるとして、トランプ氏のアカウントを永久停止したと発表。SNS最大手の米フェイスブックも、トランプ氏のアカウントを無期限停止した。

暗黒日本の真実: 浮気した妻が「DVをでっちあげ」 子供を奪われた男性が語る「日本のおかしな現実」

連れ去り 我が子に会えない親たちの告白2

 ある日突然、妻や夫が子供を連れて家を出てしまう。その日から“制度の壁”が立ちはだかり、我が子に会えなくなる。日本で横行している「連れ去り」は、国際問題にもなっている。…

今日で558日。

 毎朝、二人の子供と会っていない日数をカウントするのが習慣だ。仕事や裁判がない日は、子供を探しに出かける。区役所、警察署を回り、最後はあてもなく小学校を渡り歩く。やるべきことはすべてやってきた。あらゆる相談窓口を何度も繰り返し訪ねたが、誰からも相手にされなくなった。

 仕事は減り、7000キロ離れた母国からの仕送りで糊口を凌ぐ。家もない。同郷の友人宅を転々としてきたが、今の住まいからは2週間後に出なくてはならない。精神、肉体ともに限界に達しつつある。だが、帰国はできない。帰国してしまえば、僅かな可能性が潰えてしまい、二度と彼らに再会できなくなるからだ。
「悪夢を見ている気分です。目の前で起きていることが信じられない」
 スコットはやつれた顔でこう訴える。

「こんなことは母国オーストラリアで起こりえない話です。アメリカ、ヨーロッパ、ほとんどの先進国で『連れ去り』は誘拐、犯罪です。犯罪が目の前で起き、警察に“犯人を捕まえて”と訴え出れば、すぐに動いてくれる。それが当たり前でしょう。なのに、なぜか日本ではこの『常識』が通じない。逆に私が変人扱いされ、挙句、犯罪者にまで仕立て上げられてしまったのです」

突然、妻は子供を連れて帰国してしまった

 17年前、母国での日本人女性との出会いが、すべての始まりだった。
「シドニーにワーキングホリデーで滞在していた妻と知り合いました。3年の交際を経て07年に結婚。2年後には長女、さらに2年後には長男が誕生しました」

 スコットは、オーストラリアでは著名なフットボールジャーナリストである。SBSというオーストラリアの放送局に所属し、人気サッカー番組「ザ・ワールド・ゲーム」のレポーターとしてお茶の間に親しまれた存在だった。仕事は順調。日本人妻とのオーストラリアでの結婚生活は、幸せそのものだったという。
「年に一度は、みんなで日本に里帰りし、義父母もたまに日本から遊びに来てくれました。妻も家族全員に優しく、何の不満もなかった」
 だが15年に、とある事情でスコットはテレビ局から解雇される。それがきっかけとなり、夫婦関係にヒビが入り始めてしまうのだ。

「私はフリージャーナリストに転向しましたが、収入は減ってしまった。すると、経済的な不安からでしょうか、妻は突然、日本に帰りたいと言い出したのです。私は反対し続けましたが説得できず、ついに16年春に、子供二人を連れて帰国してしまいまいした」

 国際結婚における典型的な「連れ去り」パターンである。ただし、スコットの場合はそうならなかった。なぜならその後、彼は家族を追いかけ来日し、再び一緒に暮らし始めたからである。

 だが、このように海外で生活していた日本人妻が夫の同意もなく子供を連れて帰国してしまうケースは多発し、国際問題になってきた。1980年に採択されたハーグ条約(国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約)で、国境を越えた子供の不法な連れ去りが禁じられたが、日本が加盟したのは2011年(施行は14年)。日本は長らく国際社会から「連れ去り」を放置していると批判されてきた。今もEU諸国などから、日本は条約を履行していないと言われ続けている。

妻の“不貞”から夫婦仲は壊れ始めた
 話を戻そう。

 東京で新たな生活をスタートさせたスコット一家だったが、生活は一変した。収入が下がってしまったスコットに代わって、妻が正社員として外に働きに出ることになった。
「私は日本を拠点として、アジアのサッカー記事を海外メディアに寄稿するようになりました。ほかにもグアムの代表チームの広報兼マネージャーの仕事も得て、日本とグアムを行き来するようになりましたが、テレビ局に勤務していた頃に比べたら、満足な稼ぎがなかったのは事実です」

 代わりに、家事や子育てはスコットが担当することになったが、
「子供たちが大好きだったから、まったく苦ではなかった。日本に来たのも、彼らと離れ離れになりたくなかったからです。食事、塾や水泳の送り迎え、宿題、なんでもやりました。長女の自転車の練習も乗れるようになるまで毎日。一方、妻は毎晩遅くまで働き、お酒を飲んで帰ってくることも多くなった」

 そんな中、彼は夫婦仲を決定づける、妻の「秘密」を知ってしまったというのだ。

「妻は私の知らないところで、他の外国人男性と密会していたのです。証拠をつきつけると、妻は素直に認め、謝罪しました。そして、離婚したいと言ってきました。私は必死に反対した。離婚後も共同親権となるオーストラリアと違って、単独親権制度の日本では離婚すると子供たちと会えなくなるリスクがあることを知っていたからです」

 話し合いの結果、半年間、冷却期間として別居生活を送ることになった。妻が近くに住む義父母の家に移り、週の半分ずつ子供が行き来することになった。

「結局、半年後、子供たちのことを考え、再び同居することになりました。ただ、もう妻とは元通りになることはありませんでした。事務連絡以外、ほとんど会話をしなくなくなった。そんな矢先に『連れ去り』が起きたのです」

「妻は連れ去りのチャンスを伺っていた」

 忘れもしない19年5月15日の夕刻。妻は仕事で家に不在だった。スコットが居間で仕事をしていると、娘がびしょ濡れのまま風呂から出てきた。

「私は『ちゃんと体を拭きなさい』と彼女を叱りました。しかし、彼女は『嫌だ』と言って逃げる。仕方ないので、私は彼女を掴んでクローゼットまで連れて行ったのです。そのとき、床が濡れていたので娘は転び、クローゼットの扉に背中を打ってしまった。娘は泣いて大騒ぎし、パジャマに着替えた後、弟を連れて義父母の家に行ってしまいました」
 その後、妻に事情を説明するメールを送ると、『おじいちゃんのところに行っているから大丈夫』と返事があった。だが、翌日、翌々日になっても、子供たちは一向に帰ってこない。4日後、妻を呼び出し、近所のカフェで会うことになった。すると、妻は向き合うなり、
「いきなり離婚届を目の前に出し、『あなたは娘に暴力を振るいましたね。背中にあざが残っています』と言ってきたのです」

 慌てて事の次第を改めて丁寧に説明したが、妻は話を聞こうとせず、
「『子供が学校に報告し、学校が二人をシェルターに避難させた。場所は教えられない』と。そして、離婚届にサインするよう迫ってきたのです。私が拒むと、『弁護士から連絡が行きます』と言い残し、店を出ていきました。後で自宅の共用パソコンを調べると、彼女が5月9日に、弁護士に離婚相談のメールを送っていたことがわかりました。彼女は連れ去りを決行するため、タイミングを図り、DVをでっちあげたのです」
 スコットは、その日のうちに最寄りの高井戸警察署に駆け込んだ。
「最初、警察は親身に私の話を聞いてくれました。その場で妻に電話もしてくれた。ただ、何度かけても妻は電話に出ません。児童相談所に行ったらどうかともアドバイスされたので行ってみましたが、何の情報も得られない。週明けに学校に行くと、学校がシェルターに連れて行った、という妻の話が嘘だとわかった。警察に戻り、『一緒に学校に来て欲しい』と頼みましたが、『家庭の問題には立ち入れない』と断られました」

スコット・マッキンタイヤ
インタビューを受けるオーストラリア人ジャーナリスト、スコット・マッキンタイヤ。550日以上子供に会えていない(他の写真を見る)
たった1枚の写真でDV加害者になってしまった

 翌日、再び警察に行くと、警察官の態度が一変していたという。

「ようやく警察は妻と連絡が取れたのですが、妻は彼らに、悪いのは暴力を振るった私だと訴えていたのです。彼らはその話を信じ、非協力的になってしまった。ほぼ同時に、学校の態度も変わりました。その後、何度、警察や学校に行っても、相手にされなくなった。二人は転校してしまったようでした。どこに行ったのか調べようと思って、杉並区役所で住民票や学齢簿を取得しようとしても、黒塗りで出てくるのです。私は父親だというのに、子供がどこにいるか教えてくれないのです」

 妻がDV被害を申告したため、役所は閲覧制限をかけたのだ。スコットは力説する。

「私は妻も含めて子供たちに暴力を振るったことなど一度もありません。むしろ、結婚する際、私が妻に『子供に絶対に手を上げないで』と約束させたくらいです。もちろん、オーストラリアでもDVは深刻な社会問題です。でも、だからこそきちんと捜査します。けれど日本の警察や役所は、私を調べもしないまま、DV加害者にしているのです。オーストラリアならまったく逆で、警察は妻を逮捕し、子供たちを戻してくれたでしょう。親権者である私の同意なく、連れ去ることは誘拐であり、犯罪だからです」

「Papa this is fun!」 連れ去り1週間前に子供たちが残した肉声

 連れ去りから1ヶ月ほど経過し、弁護士を通して面会調停を申し入れた。だが妻は拒否してきた。

「子供たちが『パパ嫌い、会いたくない』と言っていると。これまで3回、調査員調査が入りましたが、最後の調査では息子が『パパを刑務所に入れてください』と言っているという。ありえない! ウソに決まっている! それが事実だとしても、誰かが子供たちにそう仕向けているとしか考えられない。これを見てください」

 そう言ってスコットは、ノートパソコンを開いて指し示した。

 そこには、彼が撮り続けてきた子供たちの笑顔が溢れかえっていた。砂浜で飛び跳ねてはしゃぐ二人。クリスマスパーティでケーキの前でサンタクロースに扮する二人。公園、レストラン、旅先……。四季折々の景色の中で、屈託のない笑みを浮かべる子供たちの姿があった。

 時々、自撮りするスコットも写り込む。二人の子供は奪い合うようにパパの顔に頬を寄せ合っていた。連れ去りの1週間前に公園で撮られたという動画には、子供たちの肉声も残っていた。

「Papa this is fun!」「Papa thank you!」

あの子たちの父親はこの世に一人しかいない

 スコットは家庭裁判所に対する憤りを隠さない。

「家裁の調査員による子供たちへの調査報告書を読むと、『子供たちは用意してきた紙を読み上げて答えた』と書いてある。そんなことを7歳の子供が自発的にできますか。誰かがそう言わせている、と考えた方が自然じゃないですか。母国ではこのような調査には大学で心理学を専攻したプロフェッショナルが担当します。そして、『片親疎外』が起きていないかをしっかり見極めます」
 片親疎外とは、同居親が子供に不適切な言動などを取ることで、別居親との関係が破壊されることをいう。そもそも、オーストラリアを始めとして「共同親権」制度が敷かれた国では、面会調停など行われないのが一般的だという。

「平日は母親と、休日は父親となどと分けて過ごしたりします。刑務所にいる父親を子供が訪ねて面会したりするくらいです。夫婦が壊れたことと子供は関係ない。子供には父親も母親も必要でしょう。父母が別れようとも、子供たちの父親はこの世にたった一人しか存在しないのです」

子供たちを探しに行ったら不法侵入で逮捕された

 スコットは目の前で起きていることを受け入れられなかった。ここはG7にも加わる先進国である。こんな不条理、不正義がまかり通るわけがない。だから彼は、毎日のように警察に通い続けた。いつかは自分の声が彼らに届き、突破口が開けると信じて。

「40回は行ったと思いますが、警察官は私の顔を見るなり厄介払いするようになりました。ガイジン帰れ、みたいな態度でした」

 それどころか、彼は同じ警察署に逮捕されてしまうのである。

 昨年10月、東北地方に甚大な被害をもたらした台風19号が吹き荒れた日のことだった。子供たちの身が心配になったスコットはいてもたってもいられなくなり、祖父母のマンションを訪ねた。

「電話番号を変えた妻とは、連絡が取れなくなっていました。メールも50通以上送っていましたが、返事は1回もない。もう義父母のところに行くしかないと考え押しかけたのです。朝から晩まで何十回とインターフォンを鳴らし続けました。そして、今日こそ決着をつけようと、住人が出入りした隙にエントランスの中に入り、ソファーに座って祖父母が出てくるのを待ち続けた。結局、義父母には会えませんでした」

 だが、妻側が通報したことで警察が動き、スコットは1ヶ月後、住居侵入罪で高井戸署に逮捕された。

「それから45日間、高井戸署の留置所と小菅の東京拘置所に勾留されました。房は24時間灯りがついていて、まったく眠れませんでした。ふつふつと怒りが湧いてきます。なんで子供を探しに行っただけで、こんな目にあわなければならないのだろうと。房では8人くらいの容疑者と過ごすのですが、ヤクザや凶悪犯もいました。彼らに逮捕された理由について話すと、同情されました」

取材に駆けつけた世界のジャーナリストたち

 その頃、母国オーストラリアでは、彼の逮捕が大ニュースになっていた。英紙「ガーディアン」の記者が拘置所のスコットを訪ねて取材し、12月19日に、「元SBS記者のスコット・マッキンタイヤが子供たちを探していたら、日本で逮捕された」とスクープしたのである。豪主要紙「シドニー・モーニング・ヘラルド」も続き、2日後、「豪人の父親が親権争いの最中に日本の拘置所に収監される」と報じた。

 年が明けた20年1月10日、保釈金を支払ったスコットは保釈される。外では外国人メディアが待ち受けていた。彼は友人が用意してくれた「片親誘拐 STOP PARENTAL CHILD ABDUCTION」と書かれたシャツを着て、憤然とカメラの前に立った。

「もう250日以上、子供と会えていません。私がここに立っているのは、これまで多くの子どもを連れ去られた、フランス、ドイツ、イタリア、カナダ、アメリカ、アジアの親の代表としてです。我々が求めているのはたった一つ。日本の親権のシステムを変えることです。日本は先進国の中で唯一、共同親権がないのです」

 1月15日、東京地裁はスコットに、懲役6カ月、執行猶予3年の有罪判を下した。その後、彼は再び「片親誘拐」のシャツを着て、内幸町の日本外国特派員協会で講演した。

 スコット釈放や有罪判決を、「ロイター通信」は「子供を探して不法侵入で逮捕された豪人男性が釈放」と、米紙「ワシントンポスト」は「日本が子供に会おうとした豪人男性が有罪に」、英国営放送「BBC」は「子供訪ね住居侵入で起訴の豪男性、日本で有罪。共同親権訴える」という見出しで報じた。

 これまで世界の名だたるメディアが、スコットの話を日本の司法制度への批判と合わせて記事にしてきた。だが、彼はこう言うのだ。

「私は日本のメディアの取材を受けるのは、あなたが初めてです」

同じ境遇の仲間たちと作った1本の動画

 勾留されている間に、住んでいたマンションは解約されてしまい、スコットは住むところも失った。

「心は折れそうでした。でも、帰国しようとは考えませんでした。もし日本を離れてしまったら、もう二度と子供たちに会えなくなってしまうかもしれない」

 彼は友人宅を転々としながら、子供たちを探し出す決意を固めた。5月には慰謝料を求めて妻を提訴。離婚調停は不調で裁判に移行し、面会調停も継続中だ。オーストラリア政府に掛け合い、外交問題として日本政府に働きかけてもらう陳情も続けている。

 先日、オーストラリア外務省は、インターポール(国際刑事警察機構)に子供たちを行方不明者として登録してもらう手続きを進めると、スコットに連絡してきたという。モリソン首相も彼を含めた自国民の連れ去り被害を憂慮しており、政府として日本政府に問題解決に向けて働き続けているという。

 なお、前述した「ハーグ条約」はスコットには適用されない。ハーグ条約は、国境を越えた連れ去りを禁ずるものであり、彼が連れ去られた場所は国内だったからだ。

 スコットは、これらの活動に加え、子と親を引き裂く日本の法制度の不条理さを世に訴えようと、「JAPAN CHILDREN RIGHTS」という外国人連れ去り被害者の団体に加わった。

 彼らが作った1本の動画がある。それは5月5日YouTubeに配信された。

〈5月5日は日本では子どもの日です/しかし、片親の中にはそのお祝いから除外されている人達がいます…〉

 動画はこのメッセージが表示されるところから始まる。最初に登場するのはスコットだ。彼はカメラを切実な眼差しで見つめ、一言、こう英語で訴える。

「子供に会いたいです」
 続けて画面には「子供達と会っていないのは、356days」というメッセージが映る。その後、ほかの連れ去り被害者たちも順番に登場する。リトアニア人、フランス人、韓国人、アメリカ人、オーストラリア人、イタリア人、そして最後に日本人。彼らは、ただ一言、それぞれの母国語で、「子供に会いたい」と訴える。「1461days」「634days」「440days」「3607days」……。画面上に、彼らが悩み抜いてきた、重く長い日数が流れていく。

 僅か2分間の映像であるが、いかに日本の連れ去り問題が国際社会で軋轢を生んでいるかを考えさせられる動画である。

子供たちに会える日が来るまで日本に残り続けます

 この日本語で編集された動画の再生回数は6700回に過ぎない。彼らの声は、この日本で届いているとは言えないのである。だが、スコットはこう言うのだ。

「たった一人でもいい。この問題を理解してもらう人が増えることが大事なのです。その人が周囲に広げてくれるはず。その積み重ねで、いつかは世の中を動かす力になる。だから、私はこれからも『子供たちに会いたい』と叫び続けます」

 そして、まなじりを決してこう訴えるのだった。

「早く子供たちに会ってこの手で抱きしめたい。『ずっと探していたよ』と言いたいです。その日が来るまで私は日本を離れません」

 デイリー新潮は、妻側に代理人弁護士を通して取材を申し込んだが、「係争中のため取材には応じられません」との回答だった。

 彼の配偶者ビザは2022年の4月には切れる。残された時間は、あと約500日。それまでに、カウンターが止まる“奇跡”は訪れるだろうか。

日本の真実:児童相談所の職員は わいせつ目的 少女誘拐の容疑で逮捕、児童相談所で被害者と知り合ったか

わいせつ目的で少女を誘拐したなどとして逮捕された中学校の教頭の男が、静岡県東部の児童相談所で、少女と知り合っていたことが分かりました。

沼津市の市立中学校の53歳の教頭の男は2017年8月、当時10代の少女をわいせつ目的で誘拐し、車の中に監禁した疑いが持たれています。

 関係者によりますと、教頭は事件前に勤務していた県東部の児童相談所で、少女と知り合ったということです。連れ去ったのは平日の日中で、少女は夏休み期間だったとみられています。

警察への被害届は確認されていません。警察は教頭が教員の立場を利用して犯行に及んだとみて、余罪も含めて捜査しています。

 関係者によりますと、教頭は事件前に勤務していた県東部にある児童相談所で少女と知り合ったということです。連れ去ったのは平日の日中で、少女は夏休み期間だったとみられています。警察への被害届は確認されていません。

警察は教頭が教師の立場を利用して、犯行に及んだとみています。教頭は県東部の別の少女(10代)を誘拐し、車の中に監禁した罪で先月、起訴されています。